11月19日

ああ、いろんなことがなつかしくなってゆく。

 

ぼーっとしているといつもそのフレーズが頭に流れる。鏡に近づくと少しずつ増えていくそばかす。それを見て、自分が若くなくなってゆくことを感じる。そのことに不安や後悔は覚えなくて、ただただ、生きてきた実感……自分には現実味や実感というものにとても鈍くて、時々全部気のせいだったんじゃないのかと思えてしまうことがあったし、それは今もある。だからこうして目に見える形で向き合えると、なんて言ったらいいんだかわかんないけど「そうなんだな」と思うのであった。

こないだ、アルバムを開いた。母が私たち(2人兄がいる)のためにたくさんの写真や言葉をはさんだアルバム。今はこういうものを作る習慣というのはあるのだろうか。少なくとも私はこうした記録は小学生低学年で終わっている。中学の卒業アルバムは、自分が写ってる写真が切り取られてたら黒く塗りつぶされていたりする。ここにいるのが本当に自分なのだろうか?これもまた私の欠如している脳みその一部である。

私は友達が少ないことや"恋愛"経験が乏しいことをよく嘆くけど、さみしいとはあまり思わない。昔はさみしくて泣く夜もあったりした。最近は、多分いろいろなことがあって疲れているのか、パソコンの前に座ってればそれで十分な状態になってしまっている。

自分の中で課題を考えて、実行して、目標を達成すること。それが生きる上でのメインになった。仕事のことである。目標を達成できた時が一番うれしい。認められている気持ちになる。おかげで死にたいと心の底から思うことはだいぶ減った。仮にしんどくさすぎて「死にたいな」と思っても、「でも、死なないもんな」と思い直すようになった。

しかし他のことをしたい時間、何をしたらいいのかわからなくて、ものすごくイライラしてしまうのだ。だから私はマッチングアプリなんぞに手を出し、いろんな人と会っている。正直、楽しいのかというとただ時間が潰せるからものすごく楽だというだけで、楽しくない時もある。嫌な思いもすることはある。そこは今更文句を言ってもしかたないし、自分が悪い時もある。でも、なんだかつまらない。ばかみたい。そして虚しいとさえ(思う)。

本当は心の奥底ではさみしくてしかたないのではないのだろうか。それを認めるといろんなものが溢れてしまうからなんじゃないだろうか。何かを思い出そうとすると叫んでしまうんじゃないかと思うくらい動揺する。こわくなる。アルバムの写真を見てあの頃のことをリアルに思い出そうとしたら涙が止まらなくなった。最近は人に言ったことやLINEで送った内容をすっかり忘れてしまうことが目立つようになってしまった。でも仕事や予定のことには細かいから、多分若年性の病気ではないんだと思うんだけど。

とにかく、いつまでたっても解消されないのは疲れてることだ。ものすごく疲れてる。疲れたなあと思い始めてからもう3年くらい経ったと思う。自分から実家に帰ることを決意したときのきっかけは、疲れてしまったことだった。あれから私は十分の療養と休息を得たが、やはり疲れはとれない。来年はこの疲れが少しでも減ることを祈る。


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