余裕がない

電話をかけたりだとか、直接その人の家に行ってドアを叩いたり、ドアの前で座って待ったり、あるいはその人がよく通う飲み屋に入り浸ったり、どこへ行っても見つからなくなってしまうことで自覚する不在だとか喪失感だとか……それがより現実的なものは近づいていくことの恐れ。終わったことを自覚することはとても勇気がいるだろうけど今の世の中でこんなことをしたらすぐこう言われてしまうだろう。

「助けてくれ、あいつにストーキングされて困ってるんだ。」

迷惑。自分がやっかいものになってしまうことへの恐れを抱えて、ただ何も行動せず、行動しないことでこの目でもこの心でも実感することのできない変化をただどうすることもできないまま、どうすることもできない自分に苛立ちを覚えたり、あるいは私をそうさせる相手に怒りを覚えたりもする。

自分がやれる最大限の優しさ(=配慮)と言えば、自ら連絡手段を断つことである。相手の住所も覚えない。電話番号はそもそも聞いておかないこと。最初からそんな人はいなかったのだと思い込むことで怒りと痛みを克服するんだ。

私はこうして自分がやっかいものになることを極力避ける努力を、経験と失敗と反省から学んで、身に付けるようになった。でも人はそんな無口で無行動な私を見て「言わなきゃわからないよ」と言うのだ。「それでだめなら次を探せばいい」。シンプルで良さそうだ。そのシンプルなのことが私にはとても難しくて未だにできた試しが無い。19歳の自分にはそのアクティブさはあったのかもしれない。今はとにかく、疲れていて、数々の失敗とあやまちがトラウマになっている。そういう私の過去を理解してくれる相手に出会えれば楽だが、賭けに近い。

振られたら次がある、もっといい男は沢山いるのにと一方的に思っていた女友達が昔いたが、彼女もうんざりしたのだろう。振られた直後か、これから振られるという時に吊った。

整形して二重にしたいなあとたまに思う。でも母は「歳とると瞼の脂肪が減って二重になるよ」と言った。「そうだよなあ、もったいなあよなあ」と思った。でもそのあと、そんな先のことじゃなくて今その二重が欲しいんだ、歳をとれば体毛も薄くなる?でも今脱毛したいんだよ。

今どうにかなりたいんだよ。

この余裕のなさはどこから来るのか。希望という概念が無いまま育ってしまった私は日々「一応これでもなんとかやってきていけた」今に至るまでの過去を振り返る。でもすぐ来年の今頃のことを考えてしまう。不安だ。本当に無職になって今よりどうしようもなくなっているとしたら、自分はどう生きたらいいか。

色んな不安が混じりに混じって情緒が不安定になってゆくわけだ。恋愛から仕事のこと、生活のこと、今改善されないことがこの先改善されることは確かにこれまできちんとあった。あったはずなのに未来の自分が信じられない。

とにかく余裕がない。余裕がない。


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