人はいつも自分勝手で / 欲望の翼

王家衛の映画を観た。『欲望の翼』。

物語を最後まで観て、もう一度口ずさみたくなる。そういう映画だった。

"感動するための"ドラマというものは基本的に不幸要素が不可欠だ。人の死や別れ。悲しみ。我々は画面に映る人たちの悲しみに同情して、最後には感動の涙を流す。素晴らしかったと。

今回観た映画は、何もかもが感情的だった。肉体的で、悲しかったり悔しかったら泣くし、暴れる。ムカついたら殴るし殺す。好きになったら「一緒に住みたい」と言う。でも答えを求められた時、肝心な時に限って人は黙り込んだり、話をそらしたりする。

雨の中を傘もささずに女が歩く。あるいは立ちつくしている。不幸を察した男が声をかける。感情があるから雨の中を傘もささずに立ちつくすし、そんな女に声をかけるのだ。

しかし気持ちや思いや本音を伝えることができない時もあるのが人間である。求めている期待に応えられないのに、軽率にオーケーと答えた時。今が良くてもその先必ずその人を悲しませるかもしれない。その責任は負うことができればもちろんいいが、どう償えばいいだろうか?時間は戻らないし記憶は消せない。お金で解決するならいいがそれで許されるかはその時にならないとわからない。だからこその沈黙という選択が最大の優しさであることを、「察してくれ」なんて願うのはあまりに暴力的である。でも彼女(彼は、でもいいが)はその沈黙に耐えられないあまりに泣き続け、忘れられない夜を当分は過ごすだろうが、それは何年も続くわけではない。いつか沈黙を忘れる日が必ず来るのだ。私もそうだった。きっとみんなもそうだったろう。

久し振りに気持ちが揺さぶられるというよりも、人間がいかに自分勝手であるかを気付かされる作品だった。まるで幻のように描かれるがどの作品よりもリアリティだった。

しかし自分勝手に生きないことは損でもある、と私は感じた。理不尽な時もあるかもしれないが、何もかも完璧で美しいものなんて自分の中の何かを押し殺さない限り、それは実現不可能だろう。表面上のものに私たちはこだわり汚れを拒む。しかし忘れがちだが、一見穏やかな景色を私たちにみせる農業というものは立派な環境破壊なのだ。それを今更何がオーガニックで自然派を名乗るのだろう?

まあそんな話は今は関係ないか。

私も男の目の前で思い切り泣いて、ひっぱたいてみたいと思った。ただそれだけ。


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