豊かさ

朝起きて、(生きてても仕方がない)と思った。
こないだ胃カメラを飲んで胃潰瘍が見つかった。そこまで酷いものでもないので心配することもない様子だった。
ここ最近ストレスがだいぶ減った。と言うのは胃の不調のため胃薬を飲んでも何も変わらなかったものが、朝飲む胃酸の薬一粒だけで夜も安心してご飯を食べられるようになったからである。吐き気どめも飲まなくても大丈夫になった。怯えながらご飯を食べずに済むことの安心かんは計り知れないと思いました。

しかしそれでも私の暮らしは豊かになるわけではない。朝目が覚めて気分が沈む。楽しみが何もない。予定も用事もない。自分が死んでもアカウントが消えた程度の実感しか誰も受け取ってもらえない。そんな生き方をしている現実が虚しく感じた。私の人生はインターネットの一つ一つのアカウントに集約されている。リアルでは空虚に生きている。ここ3日間ほど毎日ドライフラワーを束ねていた。綺麗にラッピングをしていた。まるで死に化粧を施しているかのような気分になった。綺麗だ。人間の死もこんな風に美しくしてもらえるのなら、残されたものは安心して送り出せるだろう。死んだ人間に花を添える意味についてなんとなく魂で感じ取れた気がした。私も今日は花を束ねようと思う。儀式。死んだ心を一つずつ葬る儀式である。蘇生の意味も含むかもしれない。「生きていても仕方がない」と感じる日々を改善しなくてはならない。死なない限り虚しさは終わらない。幸か不幸か定かではないが、私は死ななくてはいけないと思うほどの具体的なエピソードに見舞われていない。したいことがある以上私は生きなければならない。そのためには金を稼がなければならない。豊かさとはなんなのだろう、と思うことがたまにある。私たちの生活は恵まれた家の中で便利な家具家電に囲まれて生きている。そして衛生的な環境。それは最低限保証された文化的な生活に過ぎなく、豊かさとは…例えば遠くへ旅行をすること、美容院でトリートメントに7千円払うこと、映画館で映画を観ること、伊勢丹で10万のコートと2万の美容液を買うこと、スーツをオーダーすること、結婚式に300万払うこと、ディナーにフレンチを食べること。お金を使うことこそが豊かさで、経済を回すことが国民の義務なのである。…近頃私は夕方を狙って散歩に出かける。ほんの数分、10数分ほどしか見られない、空と山々がピンクに染まる瞬間を狙って。青い山がうっすらピンク色に染まるその瞬間にいつも心の拠り所を感じる。日々変わりゆく都会で暮らしていたら決して味わうことのないもの。時代が変わってもきっと変わらなかったであろう遠くの景色を見てこの土地の歴史を想う。三島由紀夫の遺言を私は何度か音読する。ここまで築き上げられたもの。それが少しずつゆっくりと、しかし確実に加速しながら崩れていくことに気付かずに日々を過ごす。


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