じぶんの”救い方”について考える

f:id:vaginally:20171104204839p:plain
生きるのがつらい。
生きづらい。
淡々と時間が過ぎているとは思えないほど、私には、時にはスローモーションがかかったように遅く感じたり、時には自分でも処理が仕切れないくらい加速していったりする。
そんな安定感のない時の刻み方をする私の人生、私をそうさせる社会の中で、生きづらさというものを感じるときがある。
それは目に見えるもの・目の前に現れるものもあれば、自分の内部から滲み出て感じるものでもあるし、ふと客観的に見てそう感じるものもある。

私は11月11日から約3日間ほど、盲目になるほどに救いについて考えていた。そのときの救いは”いかに自分の体に傷をつけず自傷をするか”だった。とにかく病状というか、状態が悪かった。
自傷をする理由は人さまざまではあると思うが、私の場合はある意味救済だった。「今この頭がおかしくなりそうなくらいにつらい状態から解放されるため」の救済。
そこで私が思いついた画期的な方法が瀉血だった。血を抜くことである。
早速Amazonで私は人体用ではないよくわからない注射器を注文した。刺すことはできるけど、片手で一体どうやって血を抜くんだ?手の甲で試すも抜けず。足の甲で試すも抜けず。残ったのは内出血した私の手と足の甲と、使い物にならなかった(いや使いこなすことができなかった)おもちゃのような注射器。そして、使うことのない余った注射器たち。
わかったことは「看護師・医師はすごい」ということだった。

それから数日して自傷行為以外の救いが必要なんじゃないのか?と思い始める。
つらい→その瞬間を忘れるたい→自傷する→しばらくするとまたつらみが襲ってくる→つらいからまた自傷する…
負のループに陥ってしまう。これではいけない。

「…山、それか海が見たい……」

ふと思って、翌日か翌々日後、犬と母と一緒にサービスエリアのドッグランへ行った。サービスエリアの北のほうには山々が並んでいて、その日は曇りだったけれど、空気が冷たくておいしかった。
着くまでの間、車の中ではあまり機嫌が良くなかったけれど、外に出るとまず寒さに震えて「つらい」とか思ってる余裕がなくなった。つらいことよりも寒いことの方が精神エネルギーをはるかに使わないから、つらい気持ちが消えると急に余裕が出た。おかげで私は母にコーヒーを奢ることができた。
犬たちが戯れている姿、霧のおかげでいつもより綺麗に見える山たち。気がつくと普通に喋ることができるくらいには元気が出ていた。
元気が出たので、帰りには御殿場プレミアムアウトレットへ寄った。大自然もいいし、人が適度にいる場所へ行くというのも、以外と心に良い。(誰もいない商店街は憂鬱になります)

そこで私は健康的に自分を救い、闇を抱える邪悪な自分を葬ろうと考えた。
それによって行われたのが、先日の”花を贈る”という行為であった。
花束を店員に綺麗にラッピングしてもらって、それを受け取ったとき、自分の心のどこかが軽くなった気がした。
でも邪悪な自分はポッと消えてくれるわけじゃない。
翌朝になると私はいつも通り機嫌が悪くて、目の前にうつる花束を見て八つ当たりに外に投げ捨ててやろうか?あるいは燃やしてやろうか?などと考えた。
考えたけど、花びらを触ったら、しっとり柔らかかった。造花とは全然違う、生きた花の感触だった。「花が生きている」と思った瞬間、捨てるとか燃やすとか自分にできっこない…ラッピングを外して水を入れた花瓶がわりの入れ物に花を活けた。
花の寿命は短くで、ダリアはもう外側からどんどん枯れてきていた。水を変える程度ではもうダメそうだと思い、隣の小さい花がたくさんついてるものと一緒にドライフラワーにしようと考え、逆さに吊るした。せめて綺麗なままで枯れておくれと、人間のエゴって本当につくづくどうしようもないよなぁと思いながらも結んだ。

そういう過程の中で自分の邪悪な部分、邪悪な自分が亡くなっていった。そう願いたい。

じぶんの救い方とは、自分の中にある邪悪な負の自分を葬って、綺麗なものを綺麗と思える心を育てることなのだ。
上手に笑える心、ご飯を食べて美味しいと感じる心、そういった今まで死んでいた心たちを育てる行為なのだと考えます。

生きることがつらい。生きているのがつらい。そう思うのは、そう思わせている自分かもしれない。

そんなわけで今後は私の私による「じぶんの救い方」について書いていこうと思います。
漫画とか、イラストとか、文章とか、写真とか、私は幸い何かと多趣味なほうなので色々なやり方でこのブログを改めて活用していこうと思います。

障害者年金をもらいながらわずかな原稿料をもらって、幸い実家で暮らしているおかげでお金で苦しい思いをすることはあまりありません。だからお金のためにつらいことを描くくらいなら、お金に何もならなくても自分のことを救ってやれることを書きたい。ずーっと今月それを考えてました。趣味でいいんですよ。趣味の人に戻ってもいいんじゃないかと思います。

いつか報われる時が来るなら、今がこんなでもいいだろう。それくらいの余裕を持って人生を過ごしたいです。


PAGE TOP