プラトニックラブ→ロマンチックラブ→???

婚活ものの連載描く時間が増えたもんで、自然と「恋とは愛とはなんぞや」などといったことを考える時間も増えた。それはもう随分と増えた。
それまで恋愛というものを大真面目に考えたことがなかったので、今になって初めてという状況であるわけなんですが。
にしても世の中には、人を型にはめたがったり、一方的にわからせようとするばかりでわかろうとはしなかったり、性欲と恋愛感情が混同していたり、そういう人が多くて多くて「自由恋愛の自由ってそういうことじゃないだろう」と思わずにはいられないのが率直な感想。(表面的な)

一体あと何千年経てば男と女はわかりあえるんだか、いつまで不毛な議論が続くんだか、わかれよわかれよ押し付け合ってるだけにしか全然見えなくないですか。近頃は。
だってさぁ、例えばデートで飯おごるおごらない問題とかさ、そんなもん「ずっと奢ってきた男と奢られてきた女」同士はそのスタイルを貫けばいいし、「ずっと割り勘してきた男と女」同士はそのスタイルで貫けばいいし、そのスタイルがお互い違う場合はもうそこは個人の問題になるわけで。個人らで折り合いつけてうまい具合落とし込めればそれでいい話じゃない。そこでお互い納得できないのなら、それ以上続けるべき関係ではないでしょう。

っていう簡単な話なのに、たかだか30年くらいしか生きていない人たちが(まあ私は24年しか生きてませんけど)したり顔で「男とは〜〜〜〜である!女とは〜〜〜〜である!」とインターネットで煽りに近い雑文垂れ流す。
大切なのは今目の前にいる相手がどういう人間なのかということなのにね。何を考えていて何を望んでいるのか。何が嫌で何なら受け入れてくれるのか。私たちに通じ合っているものはなんなのか、わかりあえない部分はどこにあるのか。
コミュニケーションを放棄して武器(知識)だけ先取りしたって無意味ですよ。筋肉のない肉体に拳銃は耐えられないし、剣も振りかざせない。

男も女もお互いを尊重しあいわかり合う努力をすれば良いのに。幼いうちからそういう教育をすればいんだ。


恋愛というのは元々神(マリア)を崇める行為から始まったらしいよ。
その一方で日本という国は完全なる男性社会で、儒教道徳・武士の道徳なんてものがあったくらいで、その中では恋愛は非常に軽蔑されるべきものとして扱われていたという。(三島由紀夫の「新恋愛講座」p17より)

恋愛は実は歴史的産物であり、本質的には様式美である。というのはヨーロッパの歴史を学ぶとなんとなく理解できる。
恋愛で苦しむ人たちはそれにどう対処対応すればいいかで悩み苦しんでいる。それは、恋愛というものには技術が必要だというのに、彼らはその技術を持ち合わせていない。
それどころか、「愛することは技術である」という事実に、未だ気づいていない。これが問題なんだと思う。

恋愛のブームはプラトニックラブ(恋は病)から始まってロマンチックラブ(恋は解放)へと変わってゆき、そんで今はなんだろ?
フリーセックスなんて単語が出てもう何年も経つし、ポリアモリーなんて言葉最近は耳にしますね。
ポリアモリーラブ?リベラルな人が主張してそうな言葉っすね。どっかの暇なエリートが作った言葉なんじゃないすか?

まぁ、ブームが移りゆく最中に我々は生きているんでしょう。だから人々は戸惑いを隠せなくなっている。
一番楽しい思いをできた人たちって、なんやかんや昔の人たちなんじゃないのかなと思う。
でもきっと、いつの時代でも男の女に対する愛し方、女の男に対する愛し方は変わらないのではないでしょうか。
基礎技術さえ身につければどんな時代でも恋はできる。そう思います。


でも多分きっとわかりあいたくないんだよね。男も女も皆さんも。
わかりたくないけどそんな自分を愛してくれる人を待っている。探しもしないで。


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