愛とお金よ 人が生きる意味

人間が生きるモチベーション。それって何だろうと考えた時、それは、突き詰めると「愛とお金」なんじゃなかろうかと思うのだ。
以前見ていた中国の歴史ドラマで、皇帝に皇后がこう言った。
「私はあなた無しでは生きられません。私はあなたに人生を尽くしたい。」…と。
その直前まで、私は「人は一人でしか生きられない、一人で生きることができる」そう願っていたし、そう信じようとしていた。
皇后のこの言葉、迫真の演技。
”あなたがいるから私が生きているし、そしてこの座にいることができるのです。”
皇后の皇帝を見つめる眼には、そういううったえがあった。

このシーンを目に耳にして以来、自分の心はひどく揺さぶられている。
いつの時代も人は人と共存をしてきた。そうしなければ子孫を残すことができなかったからだろう。
子孫を残すという人間の使命が、今の人々にはそれが義務という認識がさほどないのだと思う。

人が生きるためには愛と金(労働)が必要なのだ。
愛だけで生きるには限りがあるし、多少の空虚も残る。
金だけで生きるにしても限りはある。お金しか誇るものがない人間が発する達者な言葉の中身は空虚だ。


漠然とした不安に押しつぶされそうになることがたまにある。
ここしばらくは無かったけれど、最近は特に背中が重い。
私はwebメディアで漫画を描いてきて、今も描いている身だが、漫画家とはとても名乗れるほど収入があるわけでもない。ましてや単行本すら持っていない。
それには自分の実力が無さすぎることだとなんども痛いほど事実を噛み締めてきている。
私は漫画家でもない。ただの(似非)無職である。
後ろめたさは常につきまとう。周りは次々と結婚してゆく。家庭を持ち始める。社会人として立派に働く人たち。社会的に生きている人々。
私は何をしているんだろう。収入が減ってつらい。漫画を描き続けていくべきなのかわからない。何をモチベーションに生きたらいいのか教えて欲しい。そんなことを誰に言えるだろう。誰にも言えないし聞くこともできない。

私を救ってくれるのは薬だけだ。デパスと数錠飲んで、気がついたらソファーの上で気絶して。空虚に包まれた脳みそのまま現状を理解するためにしばらくあたりを見回して。ああそうか、気絶してたのか。正気に戻る。
しばらく続いた放心状態から抜け出すのにはある程度の時間を要す。その間、気絶する前までには私を苦しめていた漠然とした不安の存在を忘れてしまう。
まあ、とは言えそれはあくまで発狂しそうになった時の応急処置、最終手段なので、そんなカジュアルに行うべき処置ではない。

私は結果を急ぎすぎているのだと思う。昔からそうだった。
自分には才能があるのか、ないのか。将来性はあるのか。売れるのか。知りたくて仕方がない時もある。
昨日見たアドルフの画集という映画でも、ヒトラーは画商にしつこくつきまとって「俺の絵は売れるのか?売れたか?」と尋ねていた。
そんな彼が一番生き生きとしていた姿を見せたのは、絵を描いている時よりも、軍に雇われ「ユダヤ人に背中を刺されたのである!敵はドイツの中にいるのだ!!」と演説をしている時だった。






私が生き生きとしている時は、どんな時だろう。

収入が減って本当に辛いので、何か送ってください。食材とか。。
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