愚痴と不満が人間を殺すとき

体調が悪い。

私だって辛いよ、不幸だなと思うことが多々あるよ、などということを口にしたくないし思いたくすらない。
そういう言葉がそもそも頭に浮かばないように、鈍感に暮らしている。
その代わり、面白いものや楽しいもの、素敵なもの、美しいもの、美味しいものには敏感でいる。いるしこだわる。絶対に快適でいたいし豊かでいたい。健康でいたい。
幸せだと思う努力をしている。だから私は幸せだ。それは相対的なものでもなければ、他人が評価するものでもない。

そもそも不幸だとか幸福だとか、それについて考えたり悩んだりすること自体が”幸せ”なことなんですよね。
目の前に餓死寸前の人間がいるとする。その人の前で「私は不幸なんだ。どうしたらいい。」と言えるか?言えないだろう。
でも、あの人には「私は不幸なんだ。つらいんだ。」と言えるということは、その人のことをきっと不幸なんだろうとかつらいんだろうとか何一つ思わないんだろうね。
人のことを考える余裕はないのに、自分のことを考える余裕はある。自分のことを考える余裕があるうちは希死念慮は生まれないし自殺願望も芽生えないと思うから。

愚痴や不満、人はそれを抱えるものだし、時には吐き出さなければやっていけないこともあるけれども、それが人を不幸にさせてしまう毒にもなりうることがあるということを忘れてはいけないし、吐き出す対象もよく慎重に選ばなければいけない。
マイナスな感情が持つエネルギーはとても強いということは、抱えているその人がよくわかっているはずなのに、なぜそれを吐き出された側の人間が受け止めきれると信じてしまうのだろう。疑わずにいられるのだろう。

私は現在すっかり心も体もやられて寝込んでます。パニックの発作は出たし(昨日)、こんなに体がきついのはすごく久しぶりですわ。


私は根暗だけど、負の感情に支配されてる人が本当に好きになれない。楽しく生きる努力をしない人間は私に共感しないでいただきたい。努力もできない人間が私に甘えないでほしい。非常に不愉快。


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