人は思っている以上に他人をよく見てるょ。

私の通っていた中学校では、特に後輩を持つ2,3年生になると、先生たちがこぞって

「あなたたちは先輩です。その先輩の背中を見て後輩が成長します。ですから、あなた達が道端にゴミをポイ捨てしたり、隠れてタバコを吸ったり、授業や掃除をサボったりすると、後輩たちはガッカリするし同じことをしてしまいます。だからみなさんがきっちりとしなければいけません。」

こんな風に何度も何度も説教をした。教えを説くってまさにこういうことだと思う。
特に3年生になった時なんて、そのプレッシャーはすごかったと当時を思い出しても思う。責任感ってこういうことなんだ、と子供ながらに感じていました。
こういうことを、大人になるにしたがって忘れていたことに最近気付いた。

例えば自分より年が下の人と接していて、「ああ若いってこんな感じだったなあ」と感じることは少なくても必ずある。
その時人はどういう対応をするかというと、「若いからまだ大丈夫」「君はまだ若いんだね」「純粋だね」と言う。私がこれまで、こういう大人の対応の仕方に何か違和感を感じてきたのは、きっと大人たちの世づくりにむけての責任感の無さに失望していたのだと思う。そうとなればあの苛立ちにも納得ができる。私の。

「ああ若いってこんな感じだったなあ」と思った時、ついついめんどくさがってテキトーに対応してしまおうとしてしまったことがある。
メールだったり、明らかに自分より歳が下の服屋の店員だったり。
でもそこで冷たく対応したら、「大人って汚いし冷たい」と口を揃えて子供や若者が言うのだ。
どうして子供らが「大人は汚い」と言うのかといえば、それはそういう大人を目にしてしまっているからで、それによって失望もしているからなのだ。大人はそれを「社会・大人はそういうもの」と押し付けるからまた社会の風紀も乱れる。
そういうものってどういうものなの?
若ければ若いほど純粋にそう追求してしまうし、納得しようともしてしまう。子供は間違いなく大人を見て育つ。後輩が先輩を見て育つのと全く同じように、部下も上司を見て育つ。

そんなあたり前のことすらわからなくなっていることが社会の常識なのだとしたら、そりゃ新興宗教にハマる人も後をたたないのではと感じる。しらんけど…
私は最近、私って結構まともなんだなと思うし、みんな結構狂ってるんだなとも思う。
常識とか社会とかを、空気という曖昧な言葉でどんどんごまかしている人たちが恐ろしくて仕方ない。

責任って言葉もよくわからないよね。ミスをした時にきちんと誠意を持って謝ったり辞めたりすることが責任みたいな感じに見えるけど、そうじゃないよね。
自分の背中を見て人が育っていくことを常に意識しながら発言したり行動することが責任なんじゃないかと思う。私は中学の時そう教わったよ。

例えば私は歩いてるとよく道を聞かれたり、観光地だと写真撮影を頼まれたりするわけですけど、そういうのに冷たく無視すると、誰がどう見たって息苦しくなるじゃないですか。私はこれも大人としての仕事だと思って明るく対応するわけです。ちょっと話はズレてるけど、でもこれも責任ってやつじゃないですか?尋ねてきた相手だって、丁寧に断られたら「すみません」と謝るし、対応してもらえたら「ありがとう」とちゃんと責任持って言ってくれるでしょうよ。そして他人はその一連の流れをきちんと見ている。人は人を思っている以上に見ている。誰も自分のことなんか見てないなんて、嘘だよ。

かっこいい大人になりたいですね。頑張ります。


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