読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

生ある者はみな前世における父母なのだ

思ったこと

最近、涙腺がゆるい。本当にゆるい。ゆるいどころか、動脈を切った時に血が噴水のように吹き出すかのごとく、スイッチが入ると涙が溢れ出てくるようになった。
映画館で館内が暗くなって「オッいよいよ始まるぞ」と思うと目頭がジーンとしてくる。
全く興味のない予告を観るだけで涙がドバドバ出るので必死でこらえる。「君の名は。」なんてエロゲみたいな作画で全然興味持てないのに予告ではついつい泣いてしまった。
読書においても読んでいる最中はなんともないが、読み終わったあと読み終わってしまった虚無感に包まれたのち、急に感慨深くなって涙が出る。
カラオケへ行くとまばたきをし忘れるので歌っている最中主に右目から涙がドバドバ出る。はたから見たら完全に馬鹿である。

しかし何故だろう、人の死では涙が流せない。数年前友人の葬式へ行った時、顔を見ても実感がわかず反応に困った。しかしみんな泣いている。私は無理やり涙を作ってみたが、特にハンカチを必要とするほどの量でもなかった。人の死は病気や発作などによる突然死でもない限り、自身が望んだあるいは受け入れた死なのだと解釈しているが故、私は悲しむことができない。
悲しいと言えば悲しい。しかしそれは相手が死んだことが悲しいのではない。もう会えないし遊べないことが悲しいのだ。自分が主体としての悲しみでしか他ならない。ただのわがままだ。
目の前で「死にたくない」「生きたい」と訴えてきたわけでもない。「助けてくれ」と求めてきたわけでもない。
何故だろうか、自殺してしまう人はある日突然消えてしまう。
1人は亡くなるついこないだまで私が遊びに誘って、体調が悪いからまた今度と返され、いつもどおりのやりとりだった。亡くなる直前、日記に「一人ぼっちだと勝手に思い込んで1人で抱えたりしないでください」などと綴った遺書と思われる文章が書かれていた。
もう1人は亡くなる一週間前に渋谷でお茶をした。新しい職場では仕事も楽しくて勉強も頑張っていると充実していることを言っていた。けれども付き合っている彼氏が最近手を繋いで歩いてくれない、どうしてだろうかと嘆いていた。私はそれはもう終わりの合図だろうと思ったが、「気にすることないよ」と励ました。今思えばもっと現実を教えればよかったのかもしれない。

このようにはっきりと文字にできるようになるまでには時間を要した。人が亡くなったことを文字にすることの覚悟と責任は重い。

死と隣合わせな暮らしの中で、「生きる」ということは希望である。救いである。
しかし現代では家賃を払うことに追われ、腹を満たすことに追われ、働くことに追われ、生活をすることに追われ、生きることに追われる。
生きることに追われる暮らしの中で、「死」こそ希望であり救いであるのだろう。
戦前の人がそれを聞いたら仰天するに違いない。

昔、貧しい僧がこの寺に籠もって修行をしていた。この寺は高い山にあったが、国の内にも雪が高く降り積もり、風が激しく吹いて、だれ一人、そこへ通う人とていなかった。それで、この僧は食べるものもなく日を過ごし、飢死しかけていた。雪が深いので、里に出て食べ物を乞うこともできず、また、そうかといって、草木を食べることもできなかった。しばらくは我慢して過ごしていたが、十日ほども立つと力も失せ、起き上がる気力もなくなった。そこで、お堂の東南の隅に破れた蓑を敷いて横たわっていた。力が出ないので、薪を拾って火を焚くこともできなかった。寺が壊れたため、すきま風が吹き込んで、雪や風がビュービューと吹きすさぶと、とても恐ろしかった。力がなくて、お経も読まず、仏も拝まなかった。今この時が過ぎればきっと食べ物が出てくる、とはとても思われないので、心細いこと、この上もない。
 まもなく死ぬことがわかって、この寺の観音に「お助けください」と心のなかでひたすら申し上げ、「ただ一度、観音さまのお名前を唱えただけでも、諸々の祈願をかなえてくださる。私は、長年、観音さまをお頼み申し上げてきたが、仏さまの前で飢死することは悲しいことです。高い官位を求め、重い財宝を願うのならむずかしいことでしょうが、今日食べ、生きるだけの食べ物を施してください」と念じるうち、寺の西北の隅の破れより狼に食われた猪がいるのを見つけた。これは観音さまがお与えになったもののようだ、食べてしまおう、と思ったけれども、長年仏さまをお頼み申し上げているのに、今更どうしてこれを食べることができようか、「生ある者はみな前世における父母なのだ」と聞いている、私は飢死しようとして父母の身体の肉を食らおうとするのか、生きものの肉を食べる人は当然仏となるもとを断ち、悪道へと堕ちてしまうことになる、だから獣たちは人間を見て逃げてしまうのだ、この猪の肉を食べれば仏・菩薩は遠く去ってしまわれるだろうから、と何度も何度も思い返した。けれども、人の心の浅ましいことには、後の世の苦しみを思わず、今日の飢えの苦しみに耐えられなくて、剣を抜いて猪の左右の腿肉を切り取り、鍋に入れて煮て食べてしまった。そのおいしいことはたとえようもないほどであった。飢餓感がおさまり、楽しいことは限りなかった。
 しかし、重い罪を犯して、泣き悲しんでいるうちに、雪もやっと消え、里人がたくさんやって来る声や物音が聞こえてきた。訪ねてきた里人たちが、「この寺に籠もっていた僧はどうなったのだろうか。雪が高く積もって、人が通ってきた形跡もない。何日も経っているので、もう食べ物もなくなったのだろう。人の気配もないが、死んでしまったのか」と口々に言い合うのを聞いて、僧は、この猪の肉を煮ているのをなんとかして隠そうと思ったが、時間もなくて、どうしようもなかった。食べ残した肉がまだ鍋にあって、僧はとても恥ずかしく悲しく思った。
 そのうち、里の人々が、みな、寺に入ってきた。人々が「どのようにして、長い間、過ごしていたのですか」などと言って、寺を回って見ると、鍋に檜の木を切って入れ、煮て食い散らした様子であった。人々はこの様子を見て、「お坊さま、どんなに食べ物に飢えておられたといっても、いったいだれが木を煮て食べるでしょうか」と言って哀れむうち、仏を見申し上げると、左右の腿が新しく切り取られていた。これはお坊さまが切り取って食べたのだと奇妙に思って、人々は「お坊さま、同じ木を食べるのだったら、寺の柱でも切って食べればよろしいでしょう。どうして、仏さまのお体を削り申し上げたのですか」と言った。僧は驚いて仏を見申し上げたところ、人々の言うように、左右の腿が切り取られていた。これを見て、僧は、煮て食べたあの猪は、観音さまが自分を助けようとして、お姿を変えられたものであったのか、と思い至り、心からありがたく思って、人々に事の次第を語った。この話を聞いた人々は、みな、涙を流して、深く感動し、ありがたく思うこと、この上もなかった。
 そのとき、仏の前で観音に向かって「もし、このことが、観音さまのお示しになったことなら、もとの通りにおなりください」と申し上げたところ、人々が、みな、見ている前で、その左右の腿はもとのようになった。これを見て、涙を流して感激しない者はだれ一人としていなかった。このことによって、この寺を成合寺というようになったのである。
 その観音は今もおわします。信仰心のある人は、かならず詣でて拝み申し上げるべきである、と語り伝えたとかいうことである。          (『今昔物語集』巻十六)


PAGE TOP