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「私……さみしいわ…………ふきとばされそう…………」

日記

どこへも帰りたくない夜がある。
行きたい場所はいくらでもあるけれど、帰りたい場所は見つからない。帰る家のために生きて働くことがどうやら私にとっては馬鹿馬鹿しいことであり負担なことであるかららしい。
ホテルは好きだし、人の家も大好きだし、責任感を問われない部屋ほど居心地の良いものはない。
移動式住居というものが可能ならば私はそういう暮らしもしてみたい。
ホテルぐらしは自分の家具を置けないし、ホテルはホテルであってほしいから希望に合わない。
友達の家に居候をしたり、恋人の家に同棲するのは楽だけど、楽な代わりに不安が生まれる。この家に住む責任を必要とされないことってつまりそういうこと。対価を支払っていないわけだから、出てけと言われたらすぐに出ていかなければならない。本当の意味では楽じゃない。
キャンプも好き。けど虫が嫌い。わがままばっかりだなぁ自分。あ、入院施設も好き。子供の頃入院生活が快適でとても良かった。退院したときなんか「また入院したいなあ」って思った。

人は何故一人になりたい時、海や山や崖などへ向かってしまうのだろう。
私は特に海へ行きたい。今の季節なら、近場の海でも人はいないだろう。熱海にでも行こうか…由比ヶ浜も良い。行ったら行ったで満足してしまってすぐ去ってしまう。結局同じ場所に居続けることができないのだろう。

人間昆虫記の十村十枝子が私はとても好きだ。

「私……さみしいわ…………ふきとばされそう…………」

同じことを私も思う。私も結局誰のことも信用することができないし、自分のことすら信用できないし、明日が来ることも信用できない。
高層ビルの屋上から地上を見下ろす景色はいかがなものだろうか。
久々に東京タワーへでも行ってみるとしよう。もっとも、私が望むのはただの"ビル"なのだが。

ごくたまに、「どうして欲しいものすら買えないの?」「お肉を買うだけでこんなに悩まなきゃいけないわけ?」と怒りがこみ上げることがある。
自動車の助手席に乗って、母は運転席で運転している。そんな姿を客観的に見ると、私はまるで介護をされているようだと感じる。
東京へ行くときはいつも駅まで車で送り迎えをしてもらっている。こんな生活、いつまで続くのだろうか。なぜ成人している私が、母に頼らなければならないのだろうか。
とは言え車の免許をとるための余裕がない。お金がない。あってもそんなことに使いたくない。車なんて一生買わないし、万が一私が、そう昨日みたいにデパスとワインを泣きながら飲んだ時に、もしかしたら車でどこかへ行ってしまうかもしれない。人をはねたりしたら一生罪を償わなければならない。リスクが大きすぎる。だから免許はなくていい。
相対的に若さを語れば30も40も若いに決っている。20で死んだって40で死んだって60で死んだって「早すぎる」と言われる。
私が私を若くないと言うのは、社会的に、労働者として若くないということを示しているのよ。選挙権もあり、ローンだって組めて、早い人は子供も産んでいるこの年齢。数字の話じゃないんだよ、背負っている責任や国民としての意識・権利について私は言ってるんだよ。

そんなことよりも問題は私の家出癖について。これが重症化したらただの疾走癖になるわけで。
いつもいつもどこか遠くへ消えてしまいたいと思う。それを思うだけで済ませてくれるのはやはり親の存在のおかげだろう。親のおかげで消えなくて済んでいる。親のおかげで消えることができない。

親のおかげで死なずに済んでいる。親のおかげで死ぬことができない。

借りた本が面白くなかった。ので、中原中也の詩集を注文した。

東京で自由に生活したい。バレエを見たり、落語を聞いたり、漫才を見たり、映画を見たり、クラシックやジャズを聴いたり、お酒を飲んで、気持ちよくなって、本を読み。


人間昆虫記 (秋田文庫―The best story by Osamu Tezuka)

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