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親なんか死ねばいいのに

日記

そんな風に思うくらいには私は昔、実家の存在が大嫌いだった。
家庭環境は特別悪いわけではない。でも決して良いわけでもない。話せば長くなるくらいには事情はある。複雑すぎて図が必要なくらいの事情は抱えている。
とは言え、虐待があったわけでもなし、親が不倫をしていただとか、何度も離婚・再婚を繰り返しているだとか、倫理的によろしくないことは一切無かった。
「一応」両親たちは常識人だった。

問題を抱えている父も、別にちょっと昭和の古い頭を持った頑固おやじで、それでいてギャンブルが好きなところを除けば、高学歴で文化人で偏った思想も主義も持ち合わせていない人間だ。
母だって、ちょっと空気が読めなかったり他人の目を気にしなさすぎるところを除けば、とても常識的で分野問わず色んな学問の知識も豊富にあるし、論理的にきちんと物事を考えられる非常に男性的で強い人間だ。
※ちなみに離婚してますが一応同居はしてます

今思えばどうしてあんな風に実家が大嫌いになったのかよく思い出せない。多分原因を探ると単なる被害妄想だったんだろうと思う。その被害妄想は、間違いなく精神病によるものなのだろう。そうとしか考えられないくらい、東京に対する執着心に比例するように実家への憎悪も増していった。
今思うと、本当、なんでなんだろう…。

すごかったのは、まず東京に出てから一番最初に実家へ強制送還させられた時だった。
当時の彼氏と同棲したいたものの、地獄みたいな生活が苦しくて、その日ただ早く眠りにつきたくて多めに睡眠薬を飲んだのがいけなかった。自分が薬を多めに飲むと大惨事を起こす体質だと、あの頃はまだ気付いていなかったもので、いわゆる覚醒状態になったせいで自殺衝動が出てしまって余計に活発になってしまったのだ。
このたぐいの話は飽きるほど書いてきたので省略するけど、まあそういうことがあって実家にすぐに引っ越すことになってしまった。つまり自宅療養が必要だと医者に言われたのである。
その時の近所の病院へ母と一緒に行った時、母に「うちへ帰りましょ、ね?」と言われると、私は「絶対に嫌だ、あんなとこ帰るもんか、帰らねーぞ」と母の二の腕をポコポコと殴っていると(全然力入っていなかったが)、診察室へ呼ばれて注射を打たれる始末。
「入院したほうがいいかもしれません。実家でしばらく休むといいでしょう。」
「…はい。」
私は医者を神様と同じくらい信じているので、医者の言葉には歯向かわなかった。

地元の病院でも私は、母に向かって「なんでだよー!!なんでこんなとこいなくちゃいけないんだよー!!」と野良犬みたいに吠えていた。あまりに目立つものだから、看護婦さんが奥の部屋まで私を案内し、横にさせて注射を打った。
私はその時、(自分がこんな注射を打たれる側になるなんてなあ)と思いながら、泣いた。一応理性が消えていなかったので、自分がおかしくなってしまったことを自覚はできていた。

その後は入院施設へ行って、その頃になると私も現実味を実感できるようになっていたし、受け入れられるようにもなっていた。
「ママァ、ゆみこ頭おかしくなっちゃったのかなー。気持ち悪くてごめんね。」
と幼稚園児みたいな口調で母に喋りかけたのを覚えている。その時の母の反応は覚えてないけれど、「どうしてうちの子が…」みたいな感じだった気がする。

入院期間はたったの3日間だった。というのも、自分が思っていた以上に居心地が悪かったのだ。
大昔肺炎で入院したときは、もうちょっと楽しかったのになあ…ご飯はベッドまで運んでくれるし、テレビもあったし、個室じゃなかったけど、かえって夜怖くなかった。
でも精神病棟?では、個室がやたら広くて奇妙で、夜ボケたおじいさんが間違えて部屋に入っちゃったり、ご飯はみんなと一緒に食べなきゃいけないんだけど美味しくないし、ごちそうさまの時必ずヤンキーっぽいお兄さんが土下座しながら大きな声で謝ってるし、テレビも部屋に無いし、夜は21時には寝ないといけないし、「もう病状大丈夫なので出たいです」と言ったらすぐに出られた。
その時、診断書には『不安抑うつ障害』みたいな名前が書かれていた。まだ双極性障害とは判明していなかった。

2013年の1月末~2月頭あたりの出来事だったかなあ。
結局また3月にはシェアハウスの人に誘われて引っ越すんだけど、この事情を知ってたらきっと誘ってはこなかっただろうと思う。
そこでも結局まだ病状も不安定なのに引っ越したせいで、計画的に暮らすことが全然できないもので、家賃が全く払えないストレスと罪悪感で毎日ODしてどんどんおかしくなっていってしまい、実家に戻った。

つい去年元気だったのに、たった1年で娘が精神病を抱えて、自分の腕を傷だらけにするようになってしまって、ちょっと精神がイカれてる喋り方(なぜだか私は病状が悪化すると幼体化する)をするようになってしまったもんだから、それはもう母からしたら「なんでうちの家系はこんなに不運なんだろう」と参っただろう。
怒る時はものすごい怒鳴り散らすし、暴力的で物を投げたり殴ったりするし、今思えば本当猛獣だ。猛獣。人間じゃない。

病状が悪いときというのは本当に怒りっぽくてピリピリしていて、情緒不安定でもあるので、今みたいに一緒にご飯を食べたり出かけたり、そもそも会話なんてできなかった。東京にいる時でも、病状がひどい時はしたくもないことを何度もしてしまったり…自傷的な行動とでもいえばいいのやら。
それでもなんとかだんだん少しずつ症状も回復して、働けるようになって、仕事をしていく中で社会的な安心感のおかげで比較的早くに回復していけたと思う。自分にとって普通のことができるようになることが一番の治療法だったので、毎日決まった時間に出勤して退勤するという暮らしは本当に良かった。障害者雇用で働いていたので、仕事は比較的暇ではあったけれど、リハビリとしてはとても良かったんじゃないかと今は思う。

実家と距離がある生活の間では、距離があるおかげで素直になれる時も割りとあって、例えば直接じゃ言えないけどメールでなら「ありがとう」や「ごめんなさい」が使えるようになったり(普通はちゃんと言えなきゃおかしいんですが)、誕生日プレゼントをきちんと送るようになったり。
逆に、一緒に住んでたら無かったであろう、母が電話で弱音を吐いてくるということもあった。「死にたい」といったなかなかヤバイことも漏らす日もあったが、実家を離れることでかえって親子の距離が縮まった実感もあった。
今までそういう自分の内面を表現するようなコミュニケーションのとり方というのをうちはしてこなかった。せいぜい怒るくらいで、私の腕の傷を見て悲しんだり、逆に謝ってきたり、これは別に素晴らしいことでもなんでもないけれど、悪いことばかりではないのかもしれないという風に今は捉えています。
感情というものがそれまであまり存在していなかった(あるいは表に出ていなかった)親子の間に、色んなトラブルがきっかけで、本来あるべきさまざまな感情が生まれてきたような気がしている。

実家が無かったり、親と絶縁状態の人にとってはこの話は不快なだけかもしれませんけど、別にこの話にメッセージ性は何も無いのでただ自分が最近思っていたことを並べてみただけです。

今は本当に母とも父とも、小学生の頃みたいに距離が近いし、でもその頃よりも対等に会話もできるようになったし、相手の気持ちも考えられるようになって、
まあ要するに「私こんなにまともになりました!!!!!」っていうオナニーなんですけど・・・・・・・・・・・・・・・・・
自分、本当に普通に戻ったなあ、よくあんな人間じゃなかった状態から、ここまで戻ってこれたなあ…と、ただただ医者と親と支えてくれた友人に感謝するばかりです。

「親なんか死ねばいいのに」
などと思い続けていた私も、今ではすっかり親の寿命が迫っていることに逆に焦るようになりました。
20年後どころか、10年後元気に生きているとは限らないかもしれない…何それ、どうしよう…今のうちに色んなとこ旅行したり、柴犬飼ったり、うまいもの食べないとだめじゃん…
そんなことをつい考えてしまう。うちの家は特殊なので結婚して孫を見せられることに親が興味ないもので、結婚というやつが視野に入らないのです。
人生について今頃考えてしまいますねえ。
就職して安定を選ぶべきか…今の仕事をもっと頑張って活躍を見せてあげるよう努力するべきか…さっさと結婚して安心させるか…別に自分が好きなように生きればいいんですけどね。

まあ、別に自分のことだけ考えても選択肢は変わらないと思うので、私は今の仕事頑張りながら、柴犬をおうちに迎え入れる方向で考えます。


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