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バカはバカ同士、エリートはエリート同士。

「学歴コンプレックス」という文字を見るとついつい反応してしまう私は高卒である。
しかしフミオさんが語っている学歴の話は大卒高卒中卒の話ではなくて、どうやら大卒者同士の劣等感の争いについての問題であった。
いわゆるカーストと呼ばれるものである。
一流と呼ばれる東大・京大から始まり、旧帝大たち、早慶上理、MARCH・関関同立、地方国公立(駅弁?)、日東駒専大東亜帝国…そして名前をあげても「どこそれ?」と言われるFランまで、実に数多くの大学が日本には存在しているらしい。
大東亜帝国に至ってはもはや正式大学名がわからないものも混じっている。
もちろん大学はブランドだけでははかれない部分もあるでしょうから、地味で知名度は低いけど偏差値自体は別に悪くないところもあるだろうとは理解してます。頭の良い大学でも、その大学内でバカ学部と呼ばれるものが存在したり、AO入試枠や内部進学生は妬まれるとか、妬むのは圧倒的少数か外部の人間なのでしょうけど、

まあ、
勉強しに行ってるだけなのに色々大変ねあなた達…
という感想は持てずにはいられないのだ。
我々高卒人間にとって、別に大企業やマスコミや大手出版社や超有名外資企業に入って働くことの価値はよくわからない。わからないので憧れにもならないので、「夢の電通」という考え方にもイマイチ理解もできないのである。

私が唯一自分の学歴にコンプレックスを持つ時は、大卒者同士がなんかちょっと学問の深い話を目の前で仕出した時である。あとは書いた論文を見せられたり、やっている研究内容や勉強内容を見せられた時だろう。
日常の中で得られる刺激も知識も圧倒的に違うであろう相手には羨ましいという感情はどうしても湧いてしまう。
その相手の姿がかっこよければ尚更、目の前の相手との圧倒的な差と、そんな差があるにも関わらず私と接してくれていることにまた大変恐縮してしまい、自分が情けなくなってしまうのだ。

一時期良い大学に通ってる人らとつるんでいた時期が私にもあったが、その時の劣等感といったら苦しいなんてもんじゃあなかった。
結局バカはバカ同士、エリートはエリート同士でなければ心までは通じ合えない、通じ合ってまで楽しむことはできないのだという現実を痛いほど噛み締めた。(今は誰一人とも関わってない)
しかし、その苦しい経験があったおかげで、自分は本を読むようになったと言っても過言ではないだろう。
別にいつもいつも難しい話をしていたわけではないし、普通に遊んで、飲んで、キャンプしたり花火したり、大学生の夏休みみたいなものを謳歌していた。
その人達はみんな、通っている大学・通っていた大学の名前が有名なところであるということを抜いても、魅力あふれる人物だった。

それくらいになってくると、もはや大卒だとか高卒だとかの問題では一括りにできなくなってくるように感じなくもなかった。
何故なら私が劣等感を抱いているのは相手との埋められない差であって、その差というのはきっとこの世に生を授かったときからのものであるので、ようするに人生だ。学歴とはその一部にすぎない。
生きてきた人生の違いにコンプレックスを抱いているのだ。
例えば今から自分が努力して相手と同じ大学に入ったとして、だからといって差が無くなるわけではないだろう。
実際の問題は学歴ではなくて、自分の生き方そのものにあるのではないか?
そこを見直さないことには、学歴コンプレックスの根源は除去できないだろうなあ。

しかし、東大に合格できたら1億もらえると言われたとしても私は絶対に勉強しないだろう。
自分の頭でもわずかな可能性があるのかもしれなくても、受験勉強してる暇があったら遊びたい。
私は勉強が大嫌いだ。
法学入門の本は読んでも法律に関するペーパーテストをやらされたら怒り狂うだろう。
勉強?なにそれ…机に向かって下を見つめてじーっとするとかバカじゃないの…??
テストで100点取れるよりも面白い話で相手を笑わすほうが価値あるだろ!

これが私の価値観なので、私は自分が高卒であることに恥は感じていない。ただ、就活する上で不利だなあとは思う…


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