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そんな真実、欲しいと思わない?

人生というものは長いようで短いもので、人の心は尊いようで愚かである。
未来ある若者は国の財産である。世界の財産である。
若者が「あれをやりたい」と言ったならば、我々は「そうしなさい」と言うべきである。
若者が「本当にそうなのか?」と言ったならば、我々は「自分を信じなさい」と言うべきである。
かつて昭和の人々が未来を想像し空飛ぶ車やよくわからない世界観を描いていたが、今の人々は50年後どんな世界を想像できるだろうか?
私は50年後も日本が健在しているかどうかさえ危ういと考えてしまう。

とある作品で「真実は真実だからこそ強いんだ。真実だからこそそれは、正義なんだ。説得力あるだろ、そんな真実。欲しいと思わない?」と語る少年が出ていた。
私はそんな真実、欲しいと願った。
夢と希望、努力と熱意、みんな自分が信じているもののために生きているのだろう。
何が悪くて誰が悪いか、そんなことは専門の人間に任せればいいが、何が正しくて誰が正しいかは自分にしかわからない。
この人生が正しいのかどうかなんて、誰にも判断できないのです。

寒い季節がやってきた。
布団にくるまると安心する。
"寒い"からこそ、"あたたかい"、そう思えるし肌で感じることもできる。
寒くなければ毛布も布団もいらない。コートも手袋もいらない。
冬の、枯れ葉が剥がれ落ちた木の姿を私はとても好いている。

毛細血管のように張り巡らされた小枝たちを真下から眺めると、葉に隠された本来の木に何か愛着というか、親近感を感じる。セミもいない。クワガタやカブトムシもいない。孤立したただの柱。

この時期になると、高校時代、毎月国立駅から谷保駅へまっすぐ大通りを歩いて通っていた時のことを思い出す。
どうしてかそれは夏でもない、桜がきれいな春でもない。冬なのだ。
雪が振るわけでもない。何か特別な催しがあるわけでも、イルミネーションがとりわけきれいなわけでもない。
静かなのだ。
無駄な生命の活気もない。
大きな声も聞こえないし、虫の鳴き声も聞こえないし、湿気がないから不快感もない。
一橋大学の横を通りながら、ここの学生たちは皆物静かだから土地柄の良さをよくあらわしていて、いつも良いなと感じていた。

あの頃の私は5年後、自分がこんな風になるなんて想像もしていなかっただろう。
未来を悲観することもなかった。
あの頃から変わらず抱き続けている希望の光はだいぶ小さくなってしまったが、まだ消えてはいない。
私が10代の頃から大切に守り続けてきた希望という光である。
いつまでも失いたくないし、いつまでも輝き続かせていたい。
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そんな真実、どこにあるのだろうか。天使とキスしたら、わかるのかな~。


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