社会に出たほうが逆に家が貧乏にもなってしまうわけで

私の家が貧乏だけどそこまで苦しくないのは、私が親の扶養に入っているおかげがもっとも大きい。

これによりうちの親は税金をいくらか払わずに済んでいる。(ちなみにうちは片親です)
私が正社員になって働く、あるいは収入のある基準額を越したら扶養から抜けなければならない。そしたら私も自分で自分の税金をおさめなければならないし、年金の免除も難しくなるだろう。
当然私の親も本来払うべき税金を納めなければならなくなる。

今まで少ない収入で生活できたはずが、その収入からさらにお金を削られるわけである。
私がいなくなる分のういたお金で賄えるとも考えられるが、せいぜい私にかかっているお金の現状としては非常に額が小さく万単位とは到底思えない。

私も私で、仮に就職できたとしても年収はよくて290万くらいだろう。私の場合、300万の壁はおそらく厚い。それは私の経歴を見て考えれば納得できるはずだ。

一体何が幸せなのか。よくわからない。
私の本当の幸せは社会に出ることではなく、この家の中で貧乏ながらものんびり暮らすことかもしれない。
引っ越し資金で犬を買い、毎日散歩をして可愛がることこそが、私に与えられるべき幸せなのかもしれない。

貧困という言葉が貧乏と違うのはなぜか、考えたことはあるだろうか?
「貧しくて困る」ことが貧困である。
この言葉はアメリカから輸入されてきたものらしい。日本人はかつて貧乏だった。もちろん今も貧乏だ。それでも、昔の人がそのことでギャーギャーわめかなかったのは、それが基準としての暮らしに成り立っていたからだ。余裕があったのだろう。今の人は余裕がない。そう、見受けられる。

貧乏というものは客観的なものの価値だが、貧困は主観的なものの見方である。他人と比べられるものではない。
なぜなら私は自身のことも家のことも貧困だと自覚していない。ただ、おそらく貧乏であることは確かだ。

貧乏は金が生む社会問題だが、貧困は個人の心が生み出す社会問題だ。



何が言いたいのかというと、お前ら全員クソッタレ!である。


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