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私は、バズ至上主義ではなく、読者至上主義のライター・編集者になりたい。

私は今から約2年と少し前から、このWebで「ライター」として物書きをするようになった。と言っても、そんなに胸を張って言えるほどの実績はまだ無い。

この世界に足を踏み入れることができたのは本当に奇跡みたいな出来事で、当時も職探しの中絶望的な状況で、某ぐるなびの当時の担当の方から突然メールが届いたのだ。

その当時は、丁度はてなブログを初めてまだそんなに日がたっていなくて、体調わる子さんとかがはてなにいた時代だった。

あの頃の私のブログは正直言ってとても面白いとは言えるものではなかった。ただの悪口を大げさにおもしろおかしく書いていただけな低レベルな記事ばかりで、今思い出しても恥ずかしくなるくらいだ。しかし、一度記事がまとめに載ったことで一日のアクセス数はとんでもないことになった。そこからコンスタントにはてなブックマークもつくようになり、ついに「ブロガー」と呼ばれるようになった頃、連載のオファーをいただいたのだ。

ライターを辞めたいと思いながら働き続けた。

こんなことを言うべきではないかもしれないが、正直ライターとして活動してから1年半近くは常にやめたくて仕方がなかった。

楽しいしやりがいがあると思える時もあれば、「私の記事を誰が読んでいるんだ?」「誰に求められてこんなものを書いているんだ?」と自分の書くものの価値がまったくわからなくて、ほとんどうつ状態になっていた。

私は漫画をメインにやっていたけれど、画力が圧倒的になかった。アナログで描いてるとデジタルとしての見栄えも悪くなるので、自分の記事を公開時にチェックするのがいつも苦痛で仕方がなかった。正直、一度入稿したら二度と見返してないものがほとんどである。

それでも、『みんなのごはん』での記事はいつも20ブクマ以上はついていたし、そこそこなものでは45前後ついていた。最後に書いた記事にいたっては200以上もついた。

担当者にはいつも、「私はいつまで連載できますかねえ…」と確認してしまうくらい、私はブクマの数字を見ても満足できなかった。担当者はむしろ全く心配する必要は無いと言ってくれていた。

それでも納得できなかったのは、きっと私が自分の記事のクオリティに満足できていなかったのが原因だろう。

 「バズ」という壁

その他にもオファーをくださった企業のオウンドメディアで連載を書くも、「いかにバスれるか」ということを目標に企画を考えるというやり方がどうしても私に合わなくて、

「バズを狙ったセオリーに従って記事を書いたとして、本当に人はそんな記事を求めているのか?」

ということがいつも脳裏にあった。

結局そのお仕事を頂いたメディアは半年あまりで潰れてしまった。担当の方が悪かったのではなく、メディアなんて誰でもやれるし誰でも結果が出せるんだろという上の人の考えが原因だったのだろうと思う。担当はいつも結果を出さなければいけないことに必死になっていた。

メディアの最重要目標は「読者を作る」ことである

メディアは雑誌と同じように、読者を増やさなければいけない。それがメディアを長続きさせるための唯一の方法だ。

記事単体が注目を浴びても、メディアの名前を覚えてもらい、そしてメディアのトップページをお気に入りに追加してくれなければ意味がない。常連を増やさなければお店は潰れてしまうのと同じだ。

決して「このセオリーに従えば読者は食いつく」などと、読者を下に見るような考え方でメディアを作るべきではないと私は考える。何故なら、読者も同じ人間。舐められているなと感じたらすぐわかるのだ。

しかし、だからと言ってpvが稼げなければ話にならない。なので、ある一定の人たちはこういうものに注目しやすいだとか、年齢や性別などによって心理的に効果のある戦略方法は必ずあるので、それは積極的に利用すべきだ。また、時代とともに人々の"好み"も変わるので、それに従うことも必須である。

いい記事は必ずバズるが、バズる記事がいい記事とは限らない。

紙媒体で言う"売れる本"は、Webで言う"バズる記事"だろう。先日、片山一行氏の『職業としての「編集者」』を読んだとき、このようなことが書かれていた。

 だから私は、「売れる本がいい本だ」という考えには基本的には反対する。しかし「いい本は必ず売れる」という考えでもない。

「いったい、どっちなんだ!」と言われそうだが、あえて言うなら、「いい本はどの出版社で出しても絶対に惨敗しない」というところだろうか……。

これをwebメディアで置き換えると、こうなる。

 だから私は、「バズる記事がいい記事だ」という考えには基本的には反対する。しかし「いい記事は必ずバズる」という考えでもない。

「いったい、どっちなんだ!」と言われそうだが、あえて言うなら、「いい記事はどのメディアで出しても絶対に惨敗しない」というところだろうか……。

まったくもって同感だ。これは私がwebメディア業界で生きていくために常々考えていた永遠のテーマだ。

「バズる記事はいい記事だ」

「いい記事はバズる」

前者は私も決してそうだとは思えない。それはきっとみなさんも感じているはずだ。

もはや話題になることでみんなが言葉で争っている。そんな醜い場を何度も目にしてきた。そしてその記事を書いたライターも非難を浴びる。

いい記事を生み出しながら、読者も育てる。

また、こんな風にも一行氏は語っている。

しかし、本も商品である以上、売れることを目指さない、考えない編集者は失格だとも思う。

 だがこうも思う。

 私の尊敬する編集者の方が、かつてこういうことを言われた。

 「売れた本を"単純"に真似する……。それを営業が強引に書店においてくる……。編集者としてそれでいいのだろうか。そもそも出版とは、編集者の"志"から始まったのではなかったのか」

私は、つくることへの努力を怠ることは読者を舐めているようなものだと本気で思っている。今の世の中これだけ情報が出回っているが、その情報を発信している人の殆どはおそらくプロではない。セオリーに従ってコピーアンドペーストをしているだけに過ぎないだろう。それは企業が1文字5円という馬鹿馬鹿しい依頼の仕方をして人材を集めているからに過ぎない。

バズる記事の特徴を完コピし、量産する…これも本当にどうかと思う。これだけ、web×情報(絵や文や写真など)という画期的な組み合わせで、テンプレートにはめて記事を作り出すことには本当に憤慨しか思えない。

もっともっと挑戦するべきだ。色んな表現の仕方が、まだこの世界には無限に広がっている。新しいメディアを表現し、それを読者に提供するべきだ。色んな表現を楽しめるように読者を育てることも、つくる人側にとっての仕事でもあると私は感じている。

そう思うのは、私が本だけに限らず、インターネットで育てられてきたからだ。

すぐに食いつくようなテンプレートに従った記事だけしか存在しない世の中になったら、人はどんどんバカになっていくだろう。ビジネス書しか読めない人間、2ちゃんねるのまとめやNAVERまとめしか読めない人間が増えてしまっては困る人だっているはずだ。それは、学問を愛する人や文芸・芸術を愛する人たちなど、そういう人たちが出す本や発する情報を手・目にしてくれる人が減ってしまうからだ。

決して利益至上主義・バズ至上主義になってしまってはいけない。絶対にだ。

 

 

今の『media116』での仕事はとても楽しい

私は、実は今の『media116』での連載は最初乗り気では無かった。お金に困っていなかったらもしかしたら断ったかもしれない。

けれども、意味のある・価値のある情報を発信することの大切さと(やりがいという)面白さを覚えてしまってからは、本当に今は担当者とネタを考えるのが楽しい。

自分の記事を必要としてくれている人がいることは本当に嬉しい。

私は今の連載では、なるべく読者には「私の記事を読みながら考えることで自分なりの答えを出すようにしてほしい」と思いながら描いている。私個人だけの意見だけを頼りに生きてほしくないからだ。

私が他人の人生まで背負えないというのも理由の1つだが、何よりも自分の力で解決してほしいからだ。それが一番その人のためになるからだと考えている。

難しいこと、なかなか話題にしづらいこと、人が偏見をもっていること…まさにこの精神病・精神障害というテーマを、どれだけカジュアルに読みやすくするかを心がけている。絵が下手なのでなかなかクオリティを高めるのに苦しんでいるが、もっともっと画力も上げて原稿料以上の仕事をしなければ。

読者至上主義のライター・編集者でありたい。

しかし、一行氏も「いい本は売れる」と最終的に結論を出していた。

同感だ。なぜなら、いい本は売れるべきだからだ。価値のあるものが多くの人の手に渡ることこそ、本を作った者たちにとって理想であり、それこそが”志”なのだから。

だからこそ、私は、「いい記事はバズる」いや、

「いい記事は人々に愛される(注目される)」

それを目指して、絶対にライター・編集者になりたい。

今のところ就活は序盤で、まだ面接も1社しか受けていないけれど、来週の面接ではこの記事をそのまま伝えられたらいいなあ。

 一行さんの本は本当にすばらしかった。私が思っていることがみんな書かれていた。だから絶対に自分はこの世界に向いているんだと思いたい。

職業としての「編集者」

職業としての「編集者」

 

 


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