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他人の幸せにしか興味が持てなくなった埒外の民

思ったこと

kamipro.com
噂の渡邊博史被告人の文書が読むべき価値があるという声をいくつか聞いたので読んでみたところ、確かにこれには関心せざるを得ない妙な説得力と考察力、そして文章力に満ちあふれていた。
「埒外の民」という言葉が出てきます。
この言葉の意味は、「自分の人生に興味が持てなかったり、自分には可能性が皆無だと思い込んでしまう人間」「努力するという発想がなかった人間」と綴られていました。
生まれてからの数年の親の躾、家庭環境を経て埒外の民の仲間入りを果たすようです。主に虐待を受けてきた子供に多いと見られます。


長らくの廃人生活でもとより酷い頭がよりスッカラカンになっているので、良い感じに文章が書けないので、とにかくこの「埒外の民」という言葉に衝撃を受けた思いを雑に走り書きしておきます。




以前某タレントさんが「私は他人の幸せにしか興味がないの」と嘆いていた。この言葉に自分は眠りから覚めるようであった。
他人の幸せにしか興味がないということは、自分の幸せには興味がないということだ。
自分の幸せに興味を持てない、というのは単純にスルーできる問題ではないだろう。心に深い闇を背負っていないとなかなかそこに行き着くとは考えづらい。
生を授かってから、親からのしつけ、家庭環境、学校生活、恋愛、仕事、友達、色々な環境で育ってきた中に何らかの原因が転がっているはずだ。
噂の渡邊博史被告人の文書を読んで引っかかる単語が見られた。「埒外の民」である。その言葉の意味は、「自分の人生に興味が持てなかったり、自分には可能性が皆無だと思い込んでしまう人間」「努力するという発想がなかった人間」と綴られていた。
以前通っていた病院の医師に、幼児期に何かトラウマを経験していないかということを2度質問されたことがある。
自分にはトラウマと言えるような経験は記憶には無く、いわゆる虐待と言われるものも何か事件に巻き込まれるなどといったことは何も無い。

自分の価値や人生その他色々なものへの見方がガラリと変わったきっかけなら心当たりはあった。19の頃の友人に借りたお金を返すために風俗で働いたことである。
初めての仕事を経験した池袋駅までの帰路の途中、今までの19年間が走馬灯のように駆け巡るような感覚に襲われてクラクラとしていたのを今でも覚えている。
あの時が自分の幸せ、自分の人生への関心が消えた瞬間だったと思う。
ただあれを経験することが無かったら、境界例人格障害的な性格というか、もしかしたらボーダーだったのかもしれないけど、「自分が一番不幸」という考え方や「過剰な自信」などの行き過ぎた部分は今でも治らなかったんじゃないかと思う。
まだまだ自分に対しては、常に一秒前のことを恥じるくらいに人の内面を改善していきたいと反省というか後悔しながら生きているけれど、自信そのものを犠牲に&自分を過小評価するかわりに、インターネット上では微妙ではあるが生身の人間に対しては腰を低く常に下から目線で接することができるようになれたんじゃないかと思う。職場に限るかもしれないが。。

もう一つは高校を中退したことだ。自分が初めて抱いた具体的かつ明確な目標が一瞬にして砕け散ってどん底へと突き落とされたことで、フリーター・無職・生活保護受給者への道だけが用意されることとなった。(中退した理由は何度も今まで語ってきたので書きません)
人生で初めての屈辱といえばこれだ。風俗よりもこっちをあげるべきだったかもしれない。
他人の幸せになんか一切の興味がなかった時期。自分が中心だった。これが15~19歳初期の私である。
底辺を認められず、いつまでも過去を忘れられないで自信だけが膨らむ一方の暗黒期だった。私の中では闇に葬ったのであまり思い出したくない。

この第一どん底と、さっきの第二どん底との2ステップを綺麗に踏むことで今の砂のような私がいる。

こんな大人になった私が実家で暮らし始めて、だんだんこの生活にも馴染んでくるようになった近頃は親に対しての不満が日々耐えない。
家庭環境コンプレックスが今になって芽生えて、テーブルの上に脚を乗せたり、家だからの平気で人前で大きな屁やゲップをしたり、受け皿も使わずに座布団の上でぼろぼろと粉を撒き散らしながらせんべいを食べたり、何かにつけて否定しかしてこない母の生活態度全般には嫌悪感しかわかないのだ。
まだ20代前半のうちになんとか地に足を付けたいと思う私は、「来年になるまでには就職するから(家を出る)」と母に伝えると、「え?フリーターじゃないの?」と返された。これには失望せずにいられなかった。それは、23歳でありながら私はまだ、母に親を望んでいたからである。
自分の幸せ・人生を、実の母も興味がなかったのだ。
父親は一応はいるが戸籍上他人である。もちろん何も口出ししてくることはないし、今まで何か言われたこともなかった。
自信と希望を捨てた自分の未来に関心のある人間がこの世に存在しないことが判明したのである。関心がある人間といえば、私の不幸を願ってやまないアンチ諸君くらいだろう。しかしそんな人達も5年後も経てば、記憶から私の名前は消えているのだ。

自分は今までの人生の中で3人ほどの友人に協力したことがある。
1人目は援交少女をやめない女性。それはいけないことだということを何度か言いつけた。時には助けを求める電話もあった。欠かせず応答していた。今はどうなったか知らない。2、3人目は痴話喧嘩の仲裁である。
人助けという役割で協力しただけなので、これらによって誰も救われてはいないので、”協力”という言葉がふさわしい。協力をするに至った理由はいずれも壊れたトロッコの修理の手助けをしてきちんとレールの上を走れるようにして順調に進んでいって欲しかったからだ。要するに今より幸せになってほしいという思いからである。今でも仲裁することのある両親の夫婦喧嘩は特に何も言うまい。

自分もこれまでの人生で色んな人に助けられたと思う。恩を仇で返す結果となってしまったことばかりだ。結局人助けというものは10のうち4くらいはそういう悲しい結末に終わってしまうんじゃないかと思う。
そういうわけだから、恩を恩で返せなかった試ししか無い私は他人から興味を持たれなくなったのだ。
(本当は他人の幸せにしか興味が持てないが故に他人の手助けに尽くすことの無意味さみたいなものを説きたかったのですが、まるで善良な人間を気取っているようで誤解を与えそうなのでやめにしました。)


走り書きなので思いついたことばかりを書いてしまったのでここらへんでまとまった気持ちを吐きますと、つまり現段階で私の人生そして幸せに興味関心を持つ人は私を含め存在しないということです。
私が渡邊博史被告人と違うのは倫理観や人としての理性くらいで、これらさえぶっ壊せば私と彼との違いは性別くらいです。

私が世間一般から見て幸せな状態になるためには、自分で自分を律し・しつけをし倫理観や理性を失うことなく自信や希望、自尊心を再構築し、自分でトロッコを作るか自分の足でレールの上を進んでいくことである。
自信や希望、自尊心が無いから私は人に依存せざるを得なかった。私が恋愛下手なのにはそういう理由があったのだと考える。

気づきを得られたところで、この話は終了とさせていただきます。以上



追記
これを書かないと誤解されそうなので書いておきますが、私は本当に社会的にもそれを覗いても生きている価値が何もありません。よろしくお願いいたします。


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