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理解は求めるものではないかもしれないという話

togetter.com
こちらのトゥゲッターが人気エントリーに並んでいたので読んでみました。
パニック障害という病気が理解を得られないため、病気への理解を得ることに協力して欲しいといった内容でした。

コメント欄は言うまでもなくギスギスしている。

それもそのはずで、これはパニック障害に限った話ではなくて風邪にも共通するものだと思います。
月に一度ならまだ許せる話、毎週毎週風邪を引いてる人がいたら「またかよ」と思いますし、私も「自己管理をしろ」と申し訳ないですが思ってしまいます。もちろん自己管理ではどうすることもできないくらい、風邪をひきやすい体質だという可能性もあります。ですから、パニック障害を認知度の高い風邪に置き換えたとしても理解を得るのは難しいと思います。
「こういう病気で苦しんでいるせいで仕事に支障が出てしまうことを理解して欲しい」と言うならば、雇側の訴え(迷惑だ・その要望は受け入れられない)も理解すべきだと考えられます。

自分も一時期障害者雇用で雇われ1年ほど会社につとめていましたが、同僚のうつ病の女性は週2~3のペースで人事に体調不良を訴えては早退していました。それを遠目から見ていた同じ立場の私でさえ「またか」と思いましたから、もちろんその言葉に悪意はありませんでしたから、生きにくいだろうなくらいにしか感じませんでした。

結局軽度の精神疾患者がすべき行動は、健常者として振る舞い過ごすことなのです。
心の病、精神の病に健常者が理解を得ることは難しいことです。そんなに世の中良い人ばかりではありません。友人や家族にそういう人がいる・いたでもないと、彼らにとっては未知で縁のない世界でしかないのです。
世界平和だとか、人類平等だとかいうおかしな道徳教育は社会でなんの役にも立たないどころか、世界では通用しないことを弱者は学ばなければいけません。


これが通院、労働していく中で得た知見です。絶望を受け入れましょう。以上


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