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「自分がされて嫌なことは人にしてはいけない」という教育の仕方

思ったこと

※以下の内容は個人的に思ったことをメモしたまでです。



「自分がされて嫌だと思うことを、人にしてはいけません。」

そういうふうに先生や親に言われて育った。
そして大人になった今、恐らく私と同じようなことを大人たちに言われて育ってきたであろう人たちが、毎日ニュースで罪を犯したことを報道されている。
窃盗や詐欺、放火、殺人、色々なことをして人が刑務所に投げ込まれている。

自分が大人になった今、思えば幼いころに受けたあの教えに、一体意味はあったのだろうか。そんなことをふと疑問に抱いた。


気付いたことは、1.他人の気持ちがわからない人間、2.(他人は嫌でも)自分がされても平気な人間、という2つの人種が存在するということである。
<1と2が症状として当てはまる障害・病気が一応存在はしますが、非常に難しいテーマを扱うことになるのでそこは省略します>

他人の気持ちがわかる人間もいれば、1と2のような人間もいるため、「自分がされて嫌だと思うことを人にしてはいけない」の言葉に教育としてはあまり、というか全く意味が無い。
つーかこんな頭の悪い発言をどうして当たり前に発言できるのか理解できん。こっちには「私がされて嫌がることをお前らはするなよ」という風にしか聞こえなく、どちらにせよ押し付けにすぎないのだ。同じ押し付けならば、「私に嫌なことをするなよ」と言ってくれたほうが全ての人間に理解を得やすいだろ。
人間には善悪の判断ができない人間もいれば、わざと悪を行う人もいる。そういう人種がいるということを教え、そういう人たちにどう対処しなければいけないかを学ばせたほうがいいんではなかろうか。
自分の身は自分で守らなければいけない。今も昔も物騒な世の中だから、そういうことを幼いうちに身につけさせたほうが良い気がしなくもない。(大げさかもしれないけど、子供がストーカー被害にあったりさらわれたりする確率は低くても0じゃないわけだし)



そういえば、道徳教育が教科としてレベルが上がってるらしい。
道徳の授業内容をwikiで見てみると、字面だけは立派なことばかりで、じゃあ一体それをどう教育させて身に付けるのだろう?

「善悪の判断」って何だろう?人を殺してはいけない理由を考えさせるんだろうか?善悪ってそもそも何を土台として判断させるの?個人?法?
中学では「遵法精神」というものを学ばせるらしい。遵法精神って何だろう。法律を守る人間を育てるってことか。ウーン。
「家庭生活の充実」ってものもある。

「善悪の判断,自律,自由と責任」「正直,誠実」「節度,節制」「個性の伸長」「希望と勇気,努力と強い意志」「真理の探究」 「思いやり,感謝」「礼儀」「友情,信頼」「相互理解,寛容」「遵法精神,公徳心」「公正,公平,社会正義」「社会参画,公共の精神」「勤労」「家族愛,家庭生活の充実」「よりよい学校生活,集団生活の充実」「郷土の伝統と文化の尊重,郷土を愛する態度」「我が国の伝統と文化の尊重,国を愛する態度」「国際理解,国際貢献」「生命の尊さ」「自然愛護」「感動,畏敬の念」「よりよく生きる喜び」
道徳教育 - Wikipedia


すごいなー。めっちゃあるなー。どうせ1つに対して数時間程度しか時間なんて設けられていないわけだから、それならもっとギュッと絞って狭く深く追求していくほうがいいんじゃないのかな?
こんな意味の分からないものたちを押し付けるくらいなら、「法」について学ばせたほうが、生活の知恵にも繋がって非常に有益だと思う。
法をかじるだけで、日本という国と人々の歴史を学ぶことができる。別に難しい分野でも学問でもなんでもない。算数や数学よりもずっとわかりやすい。

これから子育てを始める人や、今まさにその際中な人たちは、正しい道徳教育を家庭で行うべきだな。と思いました。ウーン人間は難しい。おわり


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