ジモン

今日、出掛ける前にジモンの散歩に行ってやってくれと頼まれたので、重い体を起こして散歩に行った。

ハスキーくんが今日は庭に放し飼いにしてあったので、側によって遊ばせてあげた。ハスキーくんは久しぶりに会えたのが嬉しかったのか、すぐさまこっちのそばでオシッコをした。これは挨拶なのだ。

ジモンも久々に会えて嬉しかったのか、珍しく尻尾を振りながら、ときおり吠えていた。その姿を見られるのが飼い主として嬉しくて、ついついリードをめいっぱい伸ばして、なるべく二人きりにさせてやろうと思ったのである。

その時であった。

ジモンが勢い余りすぎて、私の手からリードが離れてしまった。ジモンはそれに気付かず思い切り道路の方へ飛び出した。左右からは車とバイクが。頭が真っ白になった。

角を曲がるとジモンが怯えた鳴き声をあげていた。力がすっかり抜けきった様子で、座り込んでいた。ものすごく怯えた顔をしていた。人間の赤ちゃんが怯えて泣いている姿と全く一緒だった。

すぐさまリードを手に持ち、ジモンを抱えて撫でて落ち着かせた。鳴き声たすぐやんだけれど、すっかり抜け殻のようで、身体をブルブルと震わせていた。

ハスキーくんにバイバイして、抱きかかえてそのまま帰っていった。

ママに報告して傷跡を拭いてやった。流れるほど血は出ておらず、幸い擦り傷ですんだ。念のために病院へ行ってみてもらうと、自分出来ずを舐めていれば治る程度のものだと言われて安心する。

ママに怒られるかと思ったが、それはなかった。これが5年前なら確実に怒られていたはずである。散歩もしばらくさせてもらえないだろう。けれどもママは我々の心配をしてくれた。そのことがさらに私をつらくさせた。私が精神科に通う人間になってしまったから怒らないのかもしれない。

 

今日はこのことをブログに書こうかだいぶ迷った末、記録として書くことに決めた。この日の気持ちを決して忘れてはいけないと胸に誓う。アンチに犬殺しと影で呼ばれるかもしれないだろうが、それが私への罰である。

 

数時間も経つとジモンはすっかり元気になった。いつもよりは威張りっ気はなくなっている。まだ怖いのだろう。

私を飼い主として見てくれなくなるだろうかと不安に思っていたが、膝の上でくつろいでくれた。めいっぱい撫でてやった。

ジモンが明日も生きてくれるだけで幸せである。

生き続けなければならない呪い

毎日毎日、生活保護を受けなければならなくなるかもしれない未来について考え、そして怯えています。
せめて自分に社交性があったら、せめてもう少し体と心が強かったら、もう少し無理をして頑張ることができたのだろうかという無意味なタラレバを想像している。
私が現段階で考えている人生プランは2通りあるけれど、Aは確率として不可能なので、Bが現実的だと考えている。正社員になることだ。働いて、自立することである。
結婚などというものに頼り切れるほど自分の存在は軽くはないし、症状も良くはない。一人で強く生きることこそが人類に必要なスキルであることを私はこの4年間で学んだ。そのための知識と技術が必要であるが残念ながら社会で活かせる私のそれらはわずかなものである。一体この20年と数年間、なにをしていたのだと自分が憎らしく思うのでした。(無)
恋愛は貴族たちの遊び。貧乏人は働くべし。
私には残念ながら自殺願望はあれど、それを実行できるだけの勇気がない。
仕方ないので生きることを選択せざるを得ない。最大の苦しみは「生き続けなければならない」ことである。
死ぬことができない悲しみよりも、生き続けなければならない苦しみの方がずっとつらいだろう。
障害者たちの歴史が最近関心あり。エレファントマンで出た「見世物小屋」というものの闇に触れて、興味が湧いたのだ。
見世物小屋で働くのと、生活保護でいかされるのとならば、どっちがいいかと聞かれればもちろん後者ではあるけれど。
でも、生活保護がなかったら、見世物にならなきゃ生きることができないんだよな。

無料で安楽死できる薬を配布してくれれば、生き続けなければならない呪いから解かれるのに。誰もそれをしてくれない。何故なんだ。お金だって、かからないのに。

ちやほやされたい

今の若い女の子たちはそんなにちやほやされているのか。驚きである。
そのちやほやが一生続くと思っているアホがいることにも驚きである。とは言え、たしかにちやほやの度合いが過ぎれば感覚が麻痺するのも仕方のないことかもしれない。
それは、私がまだ19~20の時に、お金がなさすぎて常に色んな人が奢ってくれていたせいで、所持金1000円でも飲み会に参加してくるという図々しさを一時期持ち合わせていたのとほとんど変わらんだろう。あのときは本当に反省している。今はどんなに金がなくてもきちんと割り勘はします。すいませんでした。

年下・女には金を絶対出させないという神みたいな男はまれにいた。実際神だろう。
ちやほやなんかされたことが全くないというわけでもない。一番ちやほやされていたのは19歳のラブホテルでフロントの仕事をしていたときだ。
若いから失敗はある程度許されるし、おじさんは優しくしてくれる、なんかジュースとかくれるし。ラブホテルで夜勤勤務という環境さえ除けば今までで一番快適な職場だった。あと休みがもう少しあれば。

なんか懐かしいな。ああ、自分あの頃若かったんだな。色々未熟で、自分の意見なんて持ってなくて、何をしたいのかもどうしたらいいのかもわからなかった。
今も自分は若いけれど、毎日ブログか漫画書くくらいには言いたいことや思想とかが成熟していて、何をしたいのかもどうしたらいいのかも明確にわかっている。
確かに年齢だけ見れば若いけど、精神的には若くない。三十路が描いた婚活漫画に共感しまくる時点で若くないだろう。(大人としては未熟ではあるがな)

女たちが経済力を持ち始めたら、今度は「男を金で買う」女カッケー!!ってなるんだろうなぁ。もうすでにそういう世界はありますけど。
強い女ってこわいんですよね。それはそれで。男は本能的に「こいつを守る力が自分にはない」と察知し去ってしまうんではないのだろうか。
そしてその男らしさ、女らしさを求めることを古いとされてしまう世の中がこれから本当に来るのかと思うと、あまりいい気分にはなれない。
人間ってわがままだな。人口なんてどんどん減っていいんじゃないのか。人口が減ればベーシックインカムの導入は今よりも現実的になるんじゃないですか?もちろんそれまでが大変だし税金が払える身分になるまでも大変になると思いますけど。よくわからん。人間は生き物としてあまりにも終わっている。それは確か。

おもいで

母と私の小さい頃の話をしていた。
私は、まだ小学校に上がる前、近所に住んでる男の子らとよく遊んでいたらしい。女の子が身近にいる環境ではなかったようだ。
ある日、同じようにして男の子と遊んでいるときに、私の三輪車にその子が勝手に乗ったらしく、その際、「降りろ!!これはゆみこの!!!」と大きな声で怒鳴って降ろさせたらしい。
すると、周りの男の子?あるいはそのお母さんが、「ゆみこちゃんすごいわね〜」と言っていた。という、全く覚えていないエピソードを聞かされた。
そういえば保育園にいたとき、教室内にたくさんぬいぐるみがあって、その中で一番お気に入りの怪獣のやつがあったんだけど、それを他の子が取ったときに、「それゆみこの!返して!!」と強く当たったのを今でも鮮明に覚えている。
所有欲が強いというか、たんに頑固なだけなんだけど、まあそれは確かに今でも親に「あんたは頑固」と言われるくらいなので、これはもう生まれ持った気質なんだろう。可愛げがないなあ…。
あと、よく遊んでいた女の子の友達に限って次々と天候していったこととか。本当に大好きで、クラスが違っても遊んでいたしお互いの家を行き来していたくらい仲のいい友達ほど天候してしまった。あれは当時本当に寂しくて、あの頃の私は「転校=どこへ行くかもわからないし2度と会えない」ものと決めつけていたから、今思えば普通に住所聞けよって感じなんだけど。住んでる都道府県はおろか、フルネームの漢字も覚えてないので、今でもたまに「ああ、○○ちゃんいたなー、今多分美人になってるだろうなー」などと考えたりする。特に好きなところもない人と一人ぼっちにならないために仲良くすることに徹底するようになったおかげで、今は誰一人として同級生とは繋がっていない。でも一人いるか、結婚してからもう連絡来なくなったけど。
犬を見てるとそんな小さい頃の自分を思い出させられる。
臆病なくせに、家の中では元気で父親の前ではよく吠えるとことか、社交性全然ないとことか、食いしん坊なとことか、さみしがり屋なとことか。
ペットすげえな、犬すげえな、死んだらそりゃ仕事どころじゃなくなるわけだな。
3月になる。1年ぶりに歳をとるな。


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