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恋活するくらいなら婚活したほうがいいと思った

恋愛

一通り自分は「恋活」とうたわれるものは手を出したと思う。
恋活パーティ、恋活アプリ、相席居酒屋…我ながら積極的だったなと思うけれど特にそれで得たものは無い。1人ものすごく好きなタイプはいたけどTwitterでネタにしすぎて逃げられた。

まあそんな感じにやってて、婚活と恋活の決定的な違いがわかった。

前者はいたって真面目なものだ。ゴールもきちんとある。目的がとても健全だし社会的にも比較的認められやすい。後ろめたいことをしている気持ちにもならないと思う。
私は年齢的な問題もあって婚活はまだしていないので、これは外から眺めた印象である。
例えば、テレビでナイナイが企画でやる婚活大作戦てきな番組なんか見ると、演出もあるんだろうがみんな真面目なのがよくわかる。こいつらが番組でカップル成立したにせよ、一応こいつらは結婚をすでに視野にいれた関係でカップルになってるわけだから、結婚して幸せな家庭を築けるといいねなんてちょっと応援した気持ちも持てる。

しかし恋活の類はどうだろうか。マツコ会議で出会いを求めて銀座の出会いスポットと呼ばれる場所にあつまる若者たちの姿は、決して健全にはうつらなかった。
常に付きまとう「下心」という二文字。そかも必死でそれをみんな隠そうとする。
真面目に恋愛なんかする気がはなから無い人が潜んでいるのも、恋活の類の特徴だろう。
相席居酒屋に友人と行った時、それはもうエリートに属するタイプの男性と相席した。二人共30代前半~半ばくらいで、一人は大手の役員。一人は建設事務所の経営者だった。
経営者のほうは既婚者だった。キャバクラが趣味でブスが大嫌いという話をひたすらしていた。
役員のほうは真面目な恋愛がしたいが股間がだらしないので、女遊びでだらだら関係を続けてしまうといった感じの婚期逃しまくりタイプだった。
完全に遊び慣れた男の態度だったのでこの人達には軽微も下心が感じられなかった。多分我々が遊ばないタイプだと察したからだろうと思う。
しかし、その近くにこいつらの後輩がいて、そいつがまたとんでもない美形だったのだが、先輩でもある役員の人が「あいつは社内で『チン○マン』って呼ばれてるくらいヤバいやつだよ」と教えてくれた。
見事、不健全な人間しかいなかった。
しかし礼儀がある方たちだったので、「君はそこらへんの20代よりもずっと人間力があるよ!」と握手をされて解散した。

遊び方を完全に心得ている男の場合はいいが、世の中そんな人だらけでもない。
節操ない人もいるし、大変失礼な人もいる。
結局恋活のゴールは寝たかどうかにつきる。それ以外のゴールを考えてもせいぜい付き合うかどうかだ。その付き合いたいという気持ちも、結婚が理由じゃなくて「一人が嫌だから」というまったく自分勝手なものである。

お前らそんなに一人がだめなのかと。
社会人になって独身だと周りの目が痛いからとか、バカなんじゃないのかと思える。
個人的には恋人と毎週会えないだけでポエム呟いてるほうがずっと痛い。

私みたいに彼氏できないのを笑われても「お前ら一人じゃ生きてくこともできないの?大変だね。」と反論できるくらいのタフさを持って欲しい。


話は脱線したが、ようするにあれだ、
恋活して結局チャラい男に捕まりがちな女の子は、さっさと婚活したほうがいい。
「まだ若いし結婚なんて早すぎる」とか言ってないで恋愛したい気持ちがあるならさっさと結婚をゴールにしたお付き合いをするべきだ。
なんだかんだ若いうちに男を捕まえとかないと後々どんどん恋愛が難易度高くなってくるのは、もう先輩方を見てすでに学習済みだろう。

私みたいに男がいると情緒不安定になりすぎて仕事もままならなくなるようなタイプでない限りは、婚活したほうがいい。


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ゲイとレズビアンが集まる街は何故発展するのか

思ったこと

先日、とあるインターネット・ニュースバラエティ番組で、コメンテーターの人が「レズやゲイが集まる街は発展する」といったことをぽろっと言っていた。
それがとても印象に残ったので調べてみると、リチャード・フロリダ著の『クリエイティブ都市論: 創造性は居心地のよい場所を求める』という本を見つけた。
その中ではこのように語られている。
ちょっと長いです。

全米の三〇〇以上の地域を対象にハイテク産業、人的資本、高額所得者、職業、給与、収入、芸術家、ボヘミアン、ゲイといった要素の相関関係、ならびに各要素同士の直接的な相関関係を詳しく調べたのである。その結果は衝撃的なものだった。
 まず二つの要素が絡み合って、住宅の価値が決まるということに気づいた。一つ目は住民が豊かになるほど住宅価格は上がるという減少、すなわち「所得効果」である。しかし、ここで相関関係があるのは住民の財産であって、賃金ではない。株式の売却益やその他の収入を除いた賃金単体では、住宅価格との相関関係はほとんど見られない。その点は地域の教育水準、人的資本、クリエイティブ・クラスの存在、職業の構成についても同じである。
 二つ目のより強力な相関を見せた要素は、私が主張するところのボヘミアン指数(地域の芸術関連人口比率)とゲイ指数(地域の同性愛人口比率)を合成させたボヘミアン=ゲイ指数だった。適用した変数、使用したモデルの種類、地域にかかわらず、ボヘミアンやゲイの人口集中と住宅価格にはかなりの相関が認められたのである。
 ゲイやレズビアンが特定の地域に引き寄せられることはあっても、地域の発展などに寄与するものではないと多くの人は考えている。そこで私たちはパスモデル(独立変数、中間変数、従属変数同士を関連づける高度な統計学的手法)を用い、ボヘミアンやゲイと住宅価格に関連する他の要因との相関関係、さらにはボヘミアンやゲイの直接的な相関関係算出してみた。
 すると、私たちが最初に想定したとおりの結果が出た。他の立地変数(所得や人的資本)と同様に、ボヘミアンやゲイは移住地を魅力的なものに変えつつ、住宅価格に直接的な影響を与えることがわかったのだ。換言すれば、こうした人的集団の存在は住宅価格の上昇だけでなく、所得の増加にも関与している。なぜこういうことが起きるのか。ボヘミアンやゲイは質の高い移住地が形成されるうえで、二つの異なる貢献をしているためだ。
 一つ目の貢献は環境への美的感覚である。芸術家やボヘミアンは快適な生活空間を自ら提供するだけでなく、元来そうした環境が備わっている場所に惹かれる。快適性、物事の真贋、美的感覚に対する厳しい目を備えた消費者として、彼らはそうした条件が揃っている場所に集中する傾向にある。
二つ目の貢献は寛容性、または文化的開放性である。ボヘミアンやゲイ人口の多い地域は文化的な参入障壁が低い。ゆえに人種や民族などの垣根を超えて、さまざまな才能や人的資本を引きつけるのだ。芸術家やゲイは、開放的な精神や自己表現に価値を置くコミュニティにも参画する傾向にある。
 さらに、芸術家やゲイが社会の主流から外れてきた歴史を紐解けば、彼らが自立心に富んでいるとともに、部外者に対して寛容であることがわかる。彼らは一からネットワークを構築し、自主的に資源を集め、組織や企業を自ら設立しなくてはならなかったのである。
クリエイティブ都市論: 創造性は居心地のよい場所を求める - リチャード・フロリダ - Google ブックス

つまり、同性愛者が多ければ多い街ほど、寛容性があり環境も優れているということである。
確かに、ゲイに美的感覚があるというのはうなずける話だ。ファッション業界や美容業界にはオネエと呼ばれる人たちが他に比べ多く存在している。
「東京には何も無い」そのように嘆く都民が少なくないが、本当にそうなのだろうか?
むしろ東京にしか居場所が無いからこそ、各地から人が集まっているのかもしれない。なんやかんや、新宿二丁目のような特化された場所は、あの大阪にすら無いらしい。しかし、堂山町という西日本最大のゲイタウンも、いずれもっと有名になっていくかもしれない。

上には書かれていないが、ホームレスや日雇労働者が集まるというのも都会の特徴の1つだと思う。
東京はもちろん、大阪にもいわゆるドヤ街と呼ばれる場所は存在する。

昔はうちの地元にもホームレスはよくいた。駅前や橋の下や公園など、特におかしくもなんでもない、普通の光景だった。
しかし、やはりそれを嫌がる人たちがいたのだろう。駅前に住んでいた場所には変な棒がいくつも立てられて、横になれないようになっていた。気づいたら橋の下にブルーシートをしいていた人たちも消えてしまった。公園はホームレスはおろか、子供の影すら無い。

地方での暮らしは別に悪くはないが、とにかく人の目が気になる。人口が少ないからというのもあるかもしれない。
そんなにみんながみんな、幸せな家庭を築いているわけでもない。私の左隣の家は、数年前に奥さんが旦那さんを亡くし、息子と二人暮らしをしている。その息子は私より少し年下なくらいだけど、学校へ通っている様子も働いている様子もない。右隣の家は自閉症の息子がお父さんと2人で暮らしている。そのさらに奥の家は、介護疲れの父親が自分の母親を怒鳴り散らしている。そして近所にできた貸家からは、「一体どうしてこうなっちゃったんだよお!!!」という叫び声が毎日聞こえてくる。
そして、私ははたからみたらただのニート…。(一応フリーで仕事もしてるけど全然忙しくないし)
周りのことは結局気になってしまうものだ。別にだからといって差別意識なんか生まれないけど、他人が気になるから自分がどう見られているかも気になってしまう。なんだか息苦しいのは間違いない。
とにかく、田舎に寛容さなんて無いのだ。それは間違いないと思う。
静岡県内の中でも、私の住む町は父本人も「この町は部外者に冷たい」と言っているくらいだ。東北出身者の母も同じことを言っている。「この町はやる気すらない」と。

ただもちろん、寛容であることが必ずしも良いこととは限らない。
なんでも受け入れてしまえば、街には統一性が無くなるし、争いごとや揉め事だって色々起こりかねない。
なんでもかんでもメリット・デメリットはつきものだと思うけど、この本の話で同性愛者に対する考え方や見方が変わる人も少なくはないのではないだろうか。

クリエイティブ都市論―創造性は居心地のよい場所を求める

クリエイティブ都市論―創造性は居心地のよい場所を求める


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